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【ヤブ医者は名医!?】

「ヤブ医者」とは、兵庫県養父市で活躍した腕のいい名医にちなんで生まれた言葉だと知りました。
「風俗文選」(1706年)には、「世に言うヤブ医者というのは本来名医のことであって、下手な医者のことではない。とある名医が但馬の養父というところにひっそりと住み、死者を生き返らせるような治療も行うことも少なくなかった。(現代語訳)」という記載があるとのことです。

この医者は、長島的庵のことだそう、

的庵の祖父、町医者長島徳元は養父(やぶ)から江戸に出て、大老酒井忠清に認められ大名を診察するお役目を果たしており、その徳元の子、的庵の父である瑞得も医師として頭角を現し旗本になり、的庵の兄である丈庵が長島家の家督を継ぐとして育成されたため、的庵は養父に戻り名医湯浅家に入り湯浅的庵として養父(やぶ)の町医者として活躍した。しかし、1684年兄、丈庵が病に倒れ、的庵は江戸に呼び戻される。
医師として優秀であった的庵は、徳川綱吉の信頼を獲得し、54歳で将軍家の主治医(奥医師)となり、養父(やぶ)の医者は名医であるといううわさが全国に流れた。養父の医者は名医であるというブランドが確立されたそう。
しかしながら、その後、養父医者を名乗る下手な医者、偽の養父医者が増え、「養父の医者」のブランドが地に落ち、不名誉な言葉となってしまった。
そんな経緯があるそうです。

 

専門家たるべく、ますます精励しようと心に刻む時間を頂きました♪